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地震は強力であり、地震には人のチカラでは敵わないのが事実。
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地震が起こったら根性試しするっていうノリがあるんですよね。



あんまりよくないんでしょうけど、ていうか全然よくないんでしょうけど、バカなノリってけっこう楽しいんですよね。



地震が起こったら公園に集合、そして一気にみんなで河川敷を駆け巡る!



っていう、完全にバカのやることです。



今まで無事だからそんなことやるんですよね。







ホント、地震って恐ろしいものなのに。



っていいながらも、また地震が起こったらやるんだろうなあ、バカだし。







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ホノルルおススメ観光特集!





【参考情報】

○BUMP OF CHICKEN、「Smile」の収益金全額を日本赤十字社へ寄付○





BUMP OF CHICKENが2011年9月末までの期間限定で5月に販売した20th Single/ソフトバンク「復興支援ポータルサイト」CMソング「Smile」の収益¥69,627,833が、東日本大震災の義援金として2/10(金)に日本赤十字社へ寄付された。



このシングル「Smile」は、2011年3月11日に起きた未曾有の大地震「東日本大震災」の壮絶な光景を目にしたBUMP OF CHICKENが、「何か自分達がミュージシャンとして出来ることはないか」という想いを持ち、“スラムダンク”“バガボンド”等でおなじみの漫画家・井上雄彦とのコラボレーションで作り上げた作品。



井上雄彦が「Smile」に寄せる真摯な想いと、BUMP OF CHICKEN が楽曲「Smile」に込めた切実な願いの二つが重なり、このコラボレーションは“CM”という枠を超え、両者それぞれへのリスペクトと、作品への大きな想いが詰まったものとして、CD+DVDの2枚組というパッケージで緊急リリースされた。



BUMP OF CHICKEN からのメッセージは以下の通り。



この度は僕達のシングル「Smile」をご購入頂きありがとうございました。2011年5月11日から同年9月30日までの販売となったこのシングルの収益の全ては、当初の予定通り東日本大震災の義援金として被災地へ寄付させて頂きました。皆さん一人一人の想いが集まりこのような額になりました。僕等にとっても、今までの活動には無かった趣旨を含むリリースとなりましたが、多くの方々にご理解ご賛同頂き、大変有り難く思います。依然厳しい環境にある被災地の一刻も早い復興を願うと共に、音楽家として出来ることをこれからも続けていきます。現在我々は全国ツアーの最中です。各地で皆さんにお会い出来るのを楽しみにしています。





(この記事は音楽(BARKS)から引用させて頂きました)

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地震がすっごく怖いんです、私じゃなくて私の彼氏が。



前に彼氏の家にいたとき、地震が起こって悲鳴上げてたんですよ。



私じゃなくて彼氏が悲鳴を。



地震がコワイのは分かるけど、いくらなんでも甲高い声で叫ぶなんてビビリ過ぎ。







この地震見ただけでも、ちょっとビクっとしちゃうんだろうなー、彼氏。



男としてどうなんだよオイ。







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奈良に咲く幾つかの日常





【参考情報】

○創刊90周年の「週刊朝日」 非常時の「差し替え」は週刊誌ならではの個性○





 創刊90周年を迎えた「週刊朝日」。これまで世間を賑わす大きな出来事が起きると、雑誌の顔(=表紙)はガラリと表情を変えてきた。喜び、驚き、悲しみ。その顔から、世情の移ろいを振り返る。



●明仁皇太子ご成婚(1959年4月19日号)

4月10日、明仁皇太子殿下と正田美智子さんが結婚。当時、明仁皇太子は25歳



●東京五輪が開幕(1964年10月23日号)

10月10日から24日まで開催。日本は金16個、銀5個、銅8個のメダルを獲得した



●十勝沖地震(1968年5月31日号)

5月16日、北海道函館市や苫小牧市で震度5の地震が発生。死者・不明者は約50人



●まもなく大阪万博(1970年2月25日号)

3月から9月にかけ、アジア初の万国博覧会が大阪で開催。総入場者数は約6421万人



●よど号ハイジャック(1970年4月17日号)

3月31日、羽田発福岡行きの日本航空351便を赤軍派9人が乗っ取り、平壌行きを要求



●美空ひばり死去(1989年7月7日号)

6月24日、間質性肺炎による呼吸不全で死去。享年52。「悲しい酒」など名曲が数多く残る



●湾岸戦争終結へ(1991年3月1日号)

クウェートへ侵攻したイラクに対し、国連は多国籍軍を出動させ、1月から攻撃を開始



●若貴フィーバー(1991年9月27日号)

9月の秋場所番付は、弟・貴花田が関脇、兄・若花田が前頭3枚目。「若貴」はこの年、流行語大賞の金賞になった



●村山富市首相誕生(1994年7月15日号)

6月29日、首相指名の決戦投票で海部俊樹氏を破り村山氏が首相に。自社さ連立内閣樹立



●「教祖」を起訴(1995年6月16日号)

地下鉄サリン事件で、東京地検が6月6日、オウム真理教の代表、麻原彰晃容疑者を起訴



●米同時多発テロ(2001年9月28日号)

9月11日、ニューヨークの世界貿易センタービルに航空機が激突し、世界を震撼させた



●日韓W杯開催(2002年6月21日号)

5月から6月にかけ、日本と韓国で共同開催。日本は決勝トーナメントに進出し、ベスト16



●小泉旋風起こる(2005年9月23日号)

小泉純一郎首相が郵政民営化を訴えた9月の総選挙で、自民党が296議席を獲得



●未曾有の大震災(2011年3月25日号)

3月11日に起きた東日本大震災は原発事故をも引き起こし、壊滅的被害を出している



 記事や写真が、当初予定していたものから変わることを「差し替え」という。表紙をまるごと差し替えるのは、よほど大きなニュースが起きた場合。今回挙げた表紙も、大半がそのケースだ。通常の表紙づくりは、たくさんのスタッフがかかわり、綿密なスケジュールを組んでいる。だから差し替えが決定した瞬間から、スタッフは上を下への慌ただしさとなる。



 スタッフの瞬発力とひらめきを結集させ、少し前には想像もしていなかった表紙を作り上げる。ニュースを扱う週刊誌にとって差し替えは不可避で、ある意味、醍醐味。新聞やテレビとは違う、「表紙で報じる」週刊誌の個性を感じていただけたなら、この上ない。



※週刊朝日 2012年2月24日号

(この記事はエンタメ総合(週刊朝日)から引用させて頂きました)

地震が起こると子供たちがおもいっきり騒ぐ。



地震が怖くて騒いでいるならカワイイものだが、地震を見るだけでテンションが最大限になるらしい。



兄弟揃って地震の強大なチカラに感動すら覚えているらしい。







地震を怖れないのは我が子ながら関心するが、それにしても楽しそうだ……



これでいいのだろうか、まぁ怖がるよりはいいの、かもしれない。







【協賛サイト】

伊藤の元気が出るダイアリー





【参考情報】

○豊島区:聴覚障害者に地震速報 3施設に電光表示端末機設置 /東京○



 豊島区は17日、区の3施設(区役所本庁舎、東部・西部保健福祉センター)に、緊急地震速報を聴覚障害者に迅速に伝えるため、メッセージを電光表示する「緊急地震速報受信端末機」を設置した。既に区立心身障害者福祉センターにはあり、19日に設置する中央保健福祉センターを加えて計5カ所となる。

 緊急地震速報は通常音声で伝えられるため、聴覚障害者は情報が得られにくい。

 端末機は緊急地震速報が出た場合、大型LED表示器へメッセージを表示するほか、警告灯が黄色で回転し、視覚的に注意喚起できる。内蔵スピーカーからサイレン音などが出るため、聴覚障害者以外にも注意を促す効果が期待できるという。平常時にはニュースや天気予報を表示する。

 豊島区の担当者は「(首都)直下型地震の危険性が指摘されている昨今の状況で、緊急時に適切な情報を伝達していくことは、情報のバリアフリーという観点からも重要。今後の様子を見ながら必要に応じて設置台数を増やしていければ」と話している。【遠山和彦】

〔都内版〕



2月18日朝刊





(この記事は東京(毎日新聞)から引用させて頂きました)

地震は自然の強大なチカラであり、地震を操作するなんてことは現代の技術力では不可能である。



しかし、現代は古代と異なり、地震のメカニズムや事前に察知するだけの術は有している。



それがカギとなるのだ。







古代は地震を神のチカラだと畏怖していたが、現代では科学力によって解明されつつある。



地震は神ではない、自然現象だ。







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目指せビリオネアな日記





【参考情報】

○【地震】福島第一原子力発電所の状況(2月17日午後3時現在)○





 東京電力が2月17日午後3時現在として発表した福島第一原子力発電所の状況は以下の通り。



他の写真を見る



※2月17日午前8時46分、第二セシウム吸着装置において、徐々に処理流量に低下傾向が見られることから、フィルタの逆洗をするため、当該装置を一時停止。同日午前10時59分に同装置を起動し、午前11時5分、定常流量(毎時約36.4立方メートル)に到達。



※2月17日午前11時33分、3号機原子炉注水量について、現在の注水量は崩壊熱相当の注水量に対し裕度があることから、2号機の注水量増加により増えた滞留水の移送および処理の軽減を目的として、炉心スプレイ系からの注水量を約毎時6.0立方メートルから毎時約5.0立方メートルに変更。また、注水量の変動が確認された、給水系からの注水量を毎時約2.9立方メートルから毎時約3.0立方メートルに調整。



※2月2日以降、原子炉圧力容器底部の温度上昇の傾向が大きくなった2号機について、原子炉圧力容器底部温度を監視している計器の調査を実施。調査の結果当該計器は故障していたものと判断。このため、2月17日午後2時、原子炉圧力容器底部温度は実際に上昇していたものではないと判断し、保安規定に定める運転上の制限からの逸脱判断を2月12日時点にさかのぼって訂正。また、当該計器を保安規定に定める原子炉圧力容器底部温度の監視対象から除外し、他の計器により引き続き温度を監視することとした。



※2月17日午後2時7分、6号機補機冷却海水系ポンプのストレーナ切替弁の点検作業が終了したため、補機冷却海水系(A)ポンプを起動し、同日午後2時53分、使用済燃料プール冷却浄化系(B)による使用済燃料プールの冷却を再開し、通常の冷却状態に復帰(交互冷却期間中の最大温度:原子炉水温度33.6度、使用済燃料プール水温度29度)。







(この記事はテクノロジー総合(RBB TODAY)から引用させて頂きました)

地震に真っ向勝負で勝てるわけがない!



人間は太古の昔から地震にはおそれおののき、地震を鎮めるための儀式とかいろいろと頑張っていたらしいから、現代の技術でもそんなのに勝てるわけがない!



地震に対抗するには、気持ちで負けないことだ! 気持ちさえあればどうにかなる!







めっちゃコワイ!!! めっちゃコワイけどコワイからこそ頑張って勝てよオレオイ!!!









【協賛サイト】

林の日記





【参考情報】

○「3.11」からまもなく1年 極寒の海、先見えぬ捜索 「手つかずの場所ない」○





 東日本大震災の行方不明者の捜索が難航し、今年に入ってから遺体で発見されたのはわずか6人にとどまっていることが16日、警察庁のまとめで分かった。不明者は依然、3287人に上っている。ただ、最近でも生存が確認される例などもあり、不明者数が減る可能性はあるという。



 警察庁によると、16日時点の死者数は1万5850人で、1月3日時点と比べて6人しか増えていない。一方、不明者数は、身元不明遺体の身元が判明したり、自治体の調査で生存が確認されたりして、1月3日の3451人から164人減少している。



 一般的に大津波では、引き潮で沖合に流され、見つからない人も少なくない。



 外務省によると、インド洋沿岸諸国で計22万人以上が犠牲になった2004年のスマトラ沖地震では、最大の被害を受けたインドネシアで現在も3万人以上が行方不明のままとみられているという。



 ◆連日の潜水活動



 市町村別で最も多い3280人が犠牲になり、今なお557人の行方が分かっていない宮城県石巻市。その沖合約1キロに浮かぶ小型船から、宮城海上保安部の巡視船「くりこま」所属の潜水士4人が次々と2月の極寒の海に飛び込んだ。気温は氷点下1・6度、水温は5・7度。船上では風速14メートルの風が肌を突き刺す。



 4人はすぐに水深約10メートルの海底へ。土砂による濁りでわずか20センチの視界しかない中、約15分間にわたって念入りに海底を調べて戻ってきた。船上の海上保安官に淡々と報告を始めた。「漁の網でした」



 その後も、ソナーと呼ばれる装置を使って海底に障害物らしきものを見つければ、潜水士が潜って調べるという作業が約2時間繰り返された。しかし、この日も不明者は発見できなかった。



 不明者の捜索が困難を極める中、海上保安庁による潜水捜索は今もほぼ連日続けられている。陸上のがれきはほとんど片付けられ、不明者の大半は海に流されたとみられるからだ。



 昨年3月12日の最初の潜水から数えて、191回目を終えた潜水班長の藤田伸樹さん(37)は「最初は興奮して寒くないんだが、すぐに手足の感覚がなくなる」と話す。海から上がった後はぬるま湯ですら熱湯に感じるため、水を浴びて海水を流すという。



 だが、潜水士がその冷たさよりもつらく感じるのは、遺体を見つけられないことだ。今年に入って潜水捜索による発見はわずか1人にとどまっている。



 潜水士の小野寺真人さん(26)は時々、激しい無力感に襲われる。「この海の中にまだ3千人もの人がいるというのに…」。そんな時は震災時の写真をみて自分を奮い立たせ、海に向かい続けている。



 藤田さんにも葛藤した時期はあった。「『遺体の捜索』と思うとモチベーションを維持できなかった。でも、行方不明者を待っている家族の心労を取り除くことも救命活動の一つと考えるようになった。もちろん、寒い海から一刻も早く出してあげて遺族の元に返してあげたいと思い続けている」



 だが、現実は厳しい。潜水捜索は水深30メートルまでをめどにしているが、海保幹部は「手つかずの所はほとんどない状況。より深い場所まで流されている可能性が高い」。



 警察などによる陸上の捜索も、水抜きが終わったばかりの田んぼなど、場所と時期を絞った捜索に変わっている。14日からは、児童ら5人が不明のままの石巻市立大川小学校近くの川をせき止めて、川底の捜索を行っているが、これ以外に手つかずの場所は見当たらないという。



 ◆「前を向くしか」



 沿岸の風景にも、家族の気持ちの変化が表れつつある。石巻市の寄磯漁港で漁の再開に向け準備を進めていた漁師、鈴木衛さん(61)によると、昨年秋に港のがれきが片付けられるまでは、海岸を捜索する人の姿がよく見かけられたが、最近はめっきり少なくなったという。



 自宅を流されて仮設住宅暮らしという鈴木さんは、漁具の修理をしながら、しみじみとつぶやいた。



 「家族は悩みながらも区切りをつけたんじゃないか。つらいだろうが、前を向くしかないよなあ」(太田明広)





(この記事は社会(産経新聞)から引用させて頂きました)

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