地震はたぶん人類誕生からずっとあるのでしょう。
そりゃそうだと思いますよね。
そういう地震の記録も古文書とかであったりするのでしょう。
興味がわいてきました。
地震の歴史を紐解くことは人類の成長も考えることになる??
そういうの、大学院とか地震研究所とかでやっているのでしょうね。
地震に抗う人類。
これからも未来永劫、そうなのでしょうね。
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○命を守る教育:3・11から1年/下 障害がある子供たち、種別や程度で変わる支援 /宮崎○
「『困っています』『助けてください』と自分から声をかけるように」。目が不自由な児童生徒35人が通う県立明星視覚支援学校(宮崎市)の別府宗光教頭は、東日本大震災後、子供たちにそう指導している。地震時に津波が迫るのに気付かず、逃げ遅れる危険性があるからだ。同校は海岸から3キロにあり、別府教頭は東日本大震災で被害が大きかった福島、宮城、岩手の視覚支援学校(盲学校)3校に電話して震災時の状況を尋ねた。
震災が発生した午後2時46分は下校時間帯で、一人で帰宅途中に震災に遭遇した子供たちもいた。そんな中「白杖(はくじょう)を持っている子の場合、周囲が視覚障害者だと気付いて声をかけられることが多かった」という。福島県相馬市では、目が不自由な生徒が電車で帰宅中に地震が発生。白杖に気付いた隣の乗客が声をかけ、電車が津波にのまれる前に避難できたという。自分から「何が起こったんですか?」と尋ねて避難した子供もいたという。
校内で災害が発生すれば、避難経路内の障害物の有無、煙を避けるための風向きなど、教職員が校内放送で伝える。しかし「知らない場所で災害に遭遇したら一人で情報を集めないといけない。まず自分には障害があると周囲に気付いてもらうことが大切」と別府教頭。気後れせず周囲に声をかけられるよう、同校では普段の授業でも自分の意見を発表したり、地域住民らと交流する機会を増やしたという。
思春期の子供たちにとって障害を周囲に伝えることは、周りが思うより葛藤が深い。自分の障害に気付き、受け入れていく心の成長過程にあるからだ。県立延岡ととろ聴覚支援学校(延岡市、17人)の松田朝子校長は「誰だって自分の弱みは明かしたくない。障害があってもできることはたくさんあるけれど、できないことがあることも認めて相手に伝えていくのは大変なこと」と話す。
災害について考えてもらおうと、同校は昨年5月の避難訓練で、台の上に子供たちを乗せて職員が交代で揺らし、地震を疑似体験させた。さらに2月、聴覚障害があるドキュメンタリー映画監督、今村彩子さんを招き、被災地で生きる聴覚障害者について講演してもらった。「みんな自分のことに置き換えて重く受け止めたと思う。聴覚障害は情報障害で、子供たちが周囲から必要な支援を得られるように導くのは教育の大切な役目」と話す。
毎日新聞の昨年10月の調査によると、東北3県の沿岸部自治体で、身体、知的、精神の各障害者手帳所持者に占める犠牲者の割合は約2%に上り、住民全体の死亡率に比べ2倍以上高かった。県特別支援教育室は、各特別支援学校に、登下校の経路を把握し、保護者との緊急連絡網を整備することなどを通達しており、松田律子指導主事は「障害の種別や程度によって必要な支援は変わる。マンツーマンに近いきめ細かな対応を求めたい」と話す。【川上珠実】
3月11日朝刊
(この記事は宮崎(毎日新聞)から引用させて頂きました)
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