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地震は強力であり、地震には人のチカラでは敵わないのが事実。
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地震を見続けていると、リアルを超えて慣れてきてしまう。



それもよくないんでしょうね。



地震への備えとかはやっぱり意識の問題で・・・。



慣れちゃうと意識もへったくれもない。







でも、地震がいつ来るかわからないから、緊張する。



緊張すると疲れる。



は、悪循環。



地震が常に起こるかもしれないと無意識に思いながら、



普段通り暮らすというのが、一番。



それが地震との付き合い方でしょうか。







【協賛サイト】

だいすけの日記





【参考情報】

○<東日本大震災>陸前高田市消防団が震災後初、全分団集合○



 東日本大震災で団員749人のうち51人が犠牲になった岩手県の陸前高田市消防団が4日、震災後初めて全8分団で集まり、各家庭に防火を呼びかけた。団長の大坂淳さん(54)は妻と娘も亡くし、一時気力を失ったが、仲間の支えで再起。「新しく陸前高田市を作るには力が必要。皆さんは市のエンジンです」と訓示した。



 同市高田町の市職員駐車場に集まった団員は約450人。新調した消防団旗が戸羽太市長から大坂さんへ、津波で分団旗を失った5分団の新分団旗が大坂さんから各分団へ、それぞれ手渡された。



 大坂さんは市内で写真館を経営しながら、高田分団長を務めていた。昨年3月11日の大地震直後は、家にいた妻仁美さん(当時50歳)と、福島から帰省中だった短大生の長女由夏さん(同19歳)に「高台の実家へ逃げろ」と言い残し、外へ飛び出した。



 津波が来ると聞き、住民の避難を助けていた団員たちに退去を呼びかけていた時、海から迫る「黒い壁」に気付いた。間に合わず流され、竹やぶにしがみついた。振り返ると街は濁流にのまれていた。



 高田分団員は128人のうち28人が犠牲になり、仁美さんと由夏さんも亡くなった。残った分団員と、毎日100体前後の遺体を安置所へ運んだ。



 写真館の廃業を考えた。「被災者に『笑って』なんて言えるわけない」。だが4月下旬、中学教師の友人から入学写真の撮影を頼まれた。「カメラも機材も流されて何もないべ」と答えたが、別の友人が新しいカメラを届けてくれた。今年の成人式があった日は朝から、写真館前に由夏さんの同級生が並んだ。



 今年1月、大坂さんは市消防団の団長を引き受けた。自分同様、家族を失った団員は少なくない。4日の訓示の最後に呼びかけた。



 「耐えがたい孤独感や絶望感を感じたとしても、これだけの仲間がいます。生き抜いてほしい」【下原知広、岩壁峻】





(この記事は社会(毎日新聞)から引用させて頂きました)

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