地震って、もしかして占星術的に法則ってあったりするんですかね。
突如、非科学的なことを言いますが。
占いって結局統計術だ、とか言うので、地震もそういう統計的にありそうな年とか言い当てられたり。
現にそういうので商売している人もいるんですよね。
地震はいついつ、どこどこに来る、みたいな。
まあ、地震の危険にさらされてる人は、わらにもすがるってことで、すがったりもするんですけど。
信頼できる人にやってほしいですね。
地震は30年以内に、南の方で起こる。
なんて。
【協賛サイト】
ドラえもんチャンネル【参考情報】
○地震、遭難、エヴァンゲリオン…トルコと日本の深い関係○
トルコ東部で昨年11月に地震が起き、NPOメンバーの宮崎淳さん=当時(41)=が犠牲になったという悲報が流れた。東日本大震災の報道に埋もれがちだったが、死を悼む現地の人々のニュースを見て、かつて訪れたトルコの人々の日本への親愛の情を思い出した。偶然だが、半年前まで勤務していた和歌山もトルコと遭難・救助で縁がある。両国の関係をさらに深めた「1・17」まで約1週間。さらに実は、アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」の主題歌「残酷な天使のテーゼ」の作詞家とトルコとはちょっとしたいい関係だという。地震、遭難・救助、エヴァ…。両国の「絆」を綴(つづ)ってみたい。(堀川晶伸)
■通りに“英雄”の名を
宮崎さんの死が伝えられたのは昨年11月11日。トルコ東部のワン周辺で日本時間10日未明に地震が起き、ホテルが倒壊。NPOのメンバー2人ががれきに閉じ込められ、救出後、宮崎さんの死亡が確認された。
トルコ東部では10月23日に地震が発生。宮崎さんは他のメンバーと現地入りしワン周辺の村々に米や食用油、肉などの支援物資を届けていた。
同じように地震で被災した国からの支援だったこともあり、トルコでは宮崎さんの活動に関心が集まった。出身地の大分市で営まれた葬儀には、エルドアン首相が「活動が歴史ある両国の絆をより強くするものだと確信している」と弔電を寄せ東京の「おくる会」には副首相が参列した。
また、トルコのメディアは、首都アンカラの市長が宮崎さんの死を受け「トルコ人は英雄として思い続ける」と語ったと報道。市長は「市内の通りに宮崎さんの名前を命名するよう議会に提案する」としており、国をあげて弔意が示されている。
■「1・17」がつなぐ
こうした背景には、トルコの人々の日本に抱く強い親近感がある。それを深めたのが、1999年の「トルコ北西部地震」だったことは間違いないだろう。
99年の8月17日と11月12日の2回発生した。8月はイスタンブールから110キロ東のイズミット市が震源でマグニチュードは7・4。11月はさらに60キロ東で起き同7・2だった。死者は約1万8千人、負傷者は約4万9千人に達した。
偶然だが、私は11月の地震が起きる直前、トルコに出張していた。目的は地震で風評も含めてダメージを負ったトルコ観光の取材。その途中、街中の建物が崩壊し、公園の一角でテント暮らしを強いられていた女性の話を聞く機会があった。
「11月になり、ますます寒さが厳しくなっているので今後が不安」。ため息とともに伝わってきたのは、一日も早く住宅での生活を切望する思いだった。
そんななか「日本」の名前を広めたのが、計1900戸の仮設住宅の供与だった。平成7(1995)年1月17日に発生した阪神大震災の被災者が使っていた仮設住宅を、日本政府が兵庫県から無償で譲り受け、2カ所の被災地に移設する計画だった。
ホテルの食堂で通訳と食事をしていると、地元の男性に呼び止められた。
「日本人か?」
「そうだ」
そう答えると、男性は握手を求めてきた。
「本当に感謝している。われわれと同じように地震に遭った国が、家(仮設住宅)を軍艦(海上自衛隊の輸送艦)で運んできてくれた」
日本が行った人命救助やライフライン復旧などの支援で「1・17」の経験者を派遣したことも、トルコの人々の信頼と共感につながったという。
仮設住宅の地区は私の帰国後にオープン。そこが「ジャポン・キョイ(日本村)」と呼ばれ、住民から多くの感謝を寄せられていることを知り、日本人として誇らしい気持ちになったことを覚えている。
■「海」と「空」の縁
「発音しにくい船の名前やなあ。エルトゥー…、何だったっけ?」
和歌山に支局長として着任したのは平成21(2009)年。和歌山・串本沖の沈没船から、遺物の引き揚げが進められている-という記者からのニュースで知ったのが、オスマン帝国軍艦「エルトゥールル号」の名前だった。
日本とトルコの交流の原点とされるのが、同艦の遭難事件。明治天皇への勲章などを献上し、帰国途中だった同艦は、明治23(1890)年9月16日夜、台風による強風をうけ、和歌山県串本町沖で座礁した。乗組員587人が死亡したが地元・大島村(現串本町樫野)の住民の献身的な活動で69人が救出された。
トルコでは有名なエピソードといわれるが、日本では必ずしも認知度は高くない。私自身、歴史的な意味を学び直したのは和歌山赴任がきっかけだった。
たまたま翌年は120周年のメモリアルイヤー。式典は6月に海上自衛隊護衛艦「せとゆき」の艦上で行われ、寛仁親王殿下、長女の彬子さまが出席された。トルコからも特命全権大使が参列。現場の記者から支局に入ってくる厳かな式典の様子に、トルコと日本の絆の深さを感じた。最も現地一帯は電波状況が悪く、最後まで無事に原稿が送られてくるかどうか、やきもきしながらだったが…。
さらにエルトゥールル号に関連するエピソードが、1995年のイラン・イラク戦争での在イラン邦人の救出劇だ。イラクのフセイン元大統領が「48時間後にイランの上空を飛ぶ飛行機は民間機でも撃墜する」と宣言した際、日本側の対応が遅れるなかで、トルコ航空機によって、215人の日本人全員が無事に救出された。
このときトルコが日本に手を差し伸べた理由こそが「私たちはエルトゥールル号のことを忘れていない」だったという。「海」で始まった友情が、100年以上の時を経て「空」を舞台にした恩返しとなる。そこに不思議な運命を感じずにはいられない。
■エヴァンゲリオンも…
最後に和歌山で出会った日本とトルコのもうひとつの結びつきを紹介したい。
産経新聞社は毎年12月、和歌山県上富田町で「南紀おやじバントフェスティバル」を共催している。地元支局長として2回、審査員を務めたが、そこでご一緒させていただいたのが、和歌山市出身の作詞家、及川眠子(ねこ)さんだ。
及川さんといえば、winkの「悲しい熱帯魚」や、やしきたかじんの「東京」などで知られるが、最近では一世を風靡(ふうび)したアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」の主題歌「残酷な天使のテーゼ」が有名なのではないだろうか。
初めてお会いしたときは少し緊張したが、ご本人は気さくで、しかも、いいたいことをきちんと言う「格好いい」女性だ。審査の合間に楽屋で話をしていると、何かの拍子にこう言われた。
「トルコに洞窟を買ったの」
思わず聞き返すと、ご主人はトルコ人で旅行関係の仕事をされているという。洞窟はホテルにする予定と聞いてさらに驚いた。
日本とトルコに家を持ち「向こうに長くいると日本に帰りたくなる」とも話されていたが、日本とトルコをつなぐ存在だなあと感じてしまう。
和歌山市に昨年4月、市内では18年ぶりの新設校となる市立藤戸台小が開校した。校歌の作曲はシンガー・ソングライターの小坂明子さん、そして作詞を手がけたのが及川さんだ。開校にあたり及川さんが大使館を紹介したことから、同校とトルコとの交流が始まり、昨年12月にはトルコの3小学校から絵画約100点が届けられたという。
さまざまな縁を経てきた日本とトルコの友情。先人のつないできた絆が、次の世代に引き継がれ、さらに深まっていくことを願わずにはいられない。
(この記事は海外総合(産経新聞)から引用させて頂きました)