地震ってなんか子供のころからワクワクしてたんですよね!
よく学校とかで地震が起こるってなると、女子はキャーキャー言ってたんですけど、俺らのグループは「地震こいよー!」なんて言って張り切っちゃって。
地震に怖がってないっていうの、女子にアピールしたかったんですよね。
懐かしいな。
地震を女子が怖がるんだったらオレが守ってやるぜ、みたいなの、男だったらあるでしょ?
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あかりの日記【参考情報】
○津波から生還、総務省キャリア官僚の「長い長い1日」○
3月11日の東日本大震災は死者1万5千人、行方不明者3千人以上を出したが、多くは地震後の大津波によるものだった。が、いくつかの偶然が重なって津波から間一髪で難を逃れた人たちもいる。震災当日、地上デジタル放送の説明会に臨むため、あらかじめ会場周辺の地形を調べていた総務省の官僚もその1人だ。居合わせた場所と心の準備が奏功し、高台に逃げて生還につながった。大阪市内で体験談を語った講演会では、詰めかけた多くの人が貴重な教訓を学んだ。
会場となった大阪市内のホテル。11月末に開かれた講演会で、近畿総合通信局の清水信作・無線通信部長(55)は、東日本大震災に遭遇して津波から難を逃れた体験談を語った。会場は定員100人を上回る聴衆でいっぱいになった。
清水さんは6月まで東北総合通信局(仙台市)の無線通信部長の職にあった。当日は、7月24日に迫った地上デジタル放送に関する説明会の準備で、宮城県石巻市を訪れていた。
会場は牡鹿半島の南西側で南北が海に近い集落の集会所。南西側に山があり、デジタル化により仙台からのテレビの電波が遮られ、3分の1の世帯が難視聴になる集落だった。このため清水さんは、事前に地図で周囲の地形を調べ、どの方角に山や高台があるかなどを頭に入れていたという。
説明会は午後2時20分ごろに終了。予定では2時半ごろには仙台へ帰るため車で出発するはずだった。しかし会場には7、8人の参加者が残っていた。清水さんが質疑応答に応じていたその時、2時46分を迎えた。
震度5を超える強い揺れが一帯を襲った。会場の集会所は屋根が軽い構造のため倒壊は免れたが、「30分以内には津波が来ると確信した。すぐに高台へ逃げた」という。
こう思ったのには理由があった。2日前の3月9日、三陸沖を震源とするマグニチュード(M)7・2の地震が発生し、津波注意報が出されたていたからだ。約30分後には、小さいながらも実際に津波が観測された地点があり、清水さんの確信につながった。
現場は海に向かってV字形の地形になっていた。事前の調査により、一方の山は勾配が急で登れないことを知っていた清水さんは、片方の高台を目指して逃げた。会場にいた参加者も同じだ。
道路に雪が積もり出す寒さのなか、清水さんは海岸から10~20メートルほどの高さのところまで避難。揺れから約25分後に津波が到達すると、眼下の集落を一気に流していった。「ゴーッと腹の底に響く轟音(ごうおん)がした」と振り返る。
参加者7、8人と同様、津波から難を逃れた清水さん。幸運にもNHK職員が車も避難させていたことから、野宿は免れ車内で一夜を明かすことになった。しかし、牡鹿半島はがれきで道路は寸断、石巻市中心部との間の橋も渡ることができず、半島は孤立状態に。「下手をしたら1週間ほど何も救援は来ないかもしれない」と一旦は覚悟した。
しかし、すぐに石巻市中心部を目指せば何とかなると思い直し、翌12日の午前7時半ごろに集落を出発し、徒歩で石巻市中心部を目指した。途中、近くの旅館にかけあい、旅館の宿泊客とともに送迎バスに乗せてもらって仙台に向かえる幸運もあった。
石巻市の中心市街地は水没していたため、旧北上川のかなり上流の橋を迂回(うかい)。通常のルートよりも40キロほど遠回りし、仙台に着いたのは約12時間後の午後7時ごろだった。
清水さんは防災行政無線の効果も実感した。地震直後は携帯電話の電波が届いていた。通話はできなかったもののメールは送信できたのだが、それも津波襲来によって不可能になった。
「携帯電話が使用不能になった場合、土地勘のない人にとっての頼みの綱は、無線のスピーカーだけ」。石巻市の現場でも「津波警報が出ました」との声が聞こえた。このほか、携帯電話やカーナビで視聴できるワンセグも有効だった。
また、清水さんは海岸沿いの道路を走る自治体広報車からの呼びかけを聞いた。まさに命がけの注意喚起だった。
清水さんは、津波を経験したうえでの教訓をいくつか挙げて講演を締めくくった。まず、周りの人が行動するより先に、すぐに高いところへ逃げること。次に周辺の地形を日ごろから知り、どうするかを考えておくことだ、と。「海岸から離れていても、津波は河川からも来る」と指摘した。
また、災害情報を1つの手段に頼らないことが重要だ。携帯電話のメールは災害情報を得るのに便利だが、「過信は禁物」と清水さん。日ごろから災害の知識、情報を蓄積し、“まさか”に備えることが重要だということが、改めて浮き彫りになった。
(この記事は社会(産経新聞)から引用させて頂きました)