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地震は強力であり、地震には人のチカラでは敵わないのが事実。
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地震のことを考えると、不眠症になりかねないです。



あまり考えないようにしたいのですが、



地震の動画を集めていると、不安は募る一方ですね。







いつ来るかわからない、来ても対応できないかもしれない、



そういうループが始まり、地震が頭の中をぐるぐる・・・



よくありませんね。



地震が来たらもうしょうがないんだ。



と、開き直る気にもなれず・・・





とりあえずいろんな地震の動画を今後も集めます。







【協賛サイト】

うめの日記





【参考情報】

○事故対策施設「オフサイトセンター」 大半が「原発近すぎる」○



 東京電力福島第1原発事故を受け、原発事故の対策拠点「オフサイトセンター」は、福島県の施設を除く15施設のうち12施設について、設置した自治体が「原発に近すぎる」などとして立地場所や代替施設の再検討が必要と考えていることが29日、共同通信の取材で分かった。

 残る3施設のうち、宮城県女川町のセンターは3月11日の地震と津波で被災したため、国が約50キロ離れた仙台市内で暫定施設の運用を決めている。

 オフサイトセンターは13道県に計16施設(福井県は4施設、他は1施設)あり、原発からは2~13キロ。それぞれ代替施設が指定されている。福島原発事故で、原発から5キロにあるセンターは機能せず、政府が設置した事故調査・検証委員会は問題があったと指摘した。

 東北電力東通原発を対象としたセンターは青森県東通村、他は道や県が設置しており、担当課長らに第1原発事故を受けた見直しを尋ねた。

 鹿児島県は、九州電力川内原発から11キロにあるセンターと代替施設が近接しており、24キロ離れた県消防学校を新たな代替施設とすると決定。佐賀県も九州電力玄海原発から13キロにセンターと代替施設があり、大規模事故の場合、50キロ以上離れた県庁に機能を移す方針。

 中部電力浜岡原発から2キロにセンターがある静岡県は、20キロ離れた静岡空港への移転を国に提案している。





[オフサイトセンター(緊急事態応急対策拠点施設)] 1999年の東海村臨界事故を受けて、原発や使用済み核燃料再処理工場、燃料加工工場、研究炉などの事故に備えて設置された。テレビ会議システムや通信設備を備え、国や地元自治体、電力会社などの関係者が集まり、事故対応に当たるとの想定。高速増殖炉原型炉もんじゅを含め国内には18カ所に55基の原発があるが、それに対応するオフサイトセンターは16施設(福島県は1施設で2カ所、福井県は4施設で5カ所を担当)。建設費は国が自治体に全額を交付し、合計約120億円。

(この記事はエンタメ総合(河北新報)から引用させて頂きました)

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地震が都市を襲ったら・・・



考えただけでもぞっとしますね。



地震から逃げ惑う中に自分や家族がいたら・・・



いてもたってもいられなくなります。







都市は別に地震を想定して作られるわけではないみたいです。



でなければもっと頑強に安全が謡われますものね。



地震に耐えられないかもしれないけど、とりあえず成長しましょう。



というのが、ざっくばらんですが近年の都市開発。



できれば地震や他の災害に耐えうる開発計画を発動してほしいものです。







【協賛サイト】

スター・ウォーズ映画をここで再び!映画特集です!





【参考情報】

○家族らの「絆」胸に 被災地へ帰省ラッシュ「父ちゃんと会える」○





 東日本大震災後、初の年末帰省ラッシュを迎えたJR東京駅では29日、被災地の故郷や自宅へ向け多くの人々が家族への思いを胸に東北新幹線に乗り込んだ。



 福島市内の実家に帰省する東京都立川市の大学3年、山田修平さん(21)は「地震や原発事故の直後は今年は正月に帰省できないと思ったが、家族と無事に年末年始を迎えられて幸せだ」と話す。



 両親や姉らは無事で、家の建物も問題はなかった。一方で南相馬市の祖父母が一時避難したり、母親が放射能の影響を気にしながら暮らさざるを得なくなったりと、原発事故が落とす影を耳にした。「当たり前と思っていた生活や家族の存在に感謝しなければ」。改めて実感しているという。



 仙台市若林区に帰省する山梨県忍野村の男性会社員(59)は「子供のころよく釣りをして遊んだ運河周辺が津波でめちゃくちゃになった。その様子をニュースで見て、涙がこぼれた」と、2年ぶりに帰る故郷への思いを口にする。



 姉やめいら親戚の無事は確認されたが、大学時代の友人の妻が車ごと津波で流され亡くなったと聞いた。「姉らの元気な顔を見て両親の墓参りをしたい。親類と顔を合わせる機会を増やそうと思う」と語った。



 「震災のため離ればなれで生活している、仙台市青葉区の夫の元へ」と新幹線に乗ったのは、現在は相模原市で暮らす坪里恵さん(33)。娘、玲衣(れい)ちゃん(2)は「父ちゃんと会える」とはしゃいだ。



 犬の訓練士である夫は、動物の救援活動のため仙台にとどまっているが、坪さんは宮城県多賀城市内の精密機器工場の職場が津波で被災したため7月から神奈川県への転勤を余儀なくされ、今にいたっている。



 家族は無事だったものの、震災によって裂かれた生活はつらい。だが、娘の笑顔が救いだという。「限られた時間だが、今年の年末年始を3人で過ごせるのは本当にうれしい」と笑顔を見せた坪さん。夫と合流後、青森県の実家に帰り、玲衣ちゃんを思い切り雪合戦で遊ばせる予定だ。





(この記事は社会(産経新聞)から引用させて頂きました)

地震が来たら、まずはどうすればよいでしょうか?



逃げるにこしたことはないですが、



地震から逃げるというのがどういったものか、あまりぴんときません。



動画を見て、その方法を考えておくのは重要かもしれません。







地震が起こらない土地に行くというのもよいですが、



それだけで人生左右されてもつまらないかもしれない。



地震が起きることはしょうがない、と思い、なるべくそのことを想定して、



暮らしていくしかないのでしょう。





いやあ、本当に地震は怖いです。







【協賛サイト】

けんじの毎日の歩き方





【参考情報】

○東日本大震災 死者1万5844人に○





地震が最近気になって仕方ありません。



まずいつ地震が来るのか、これは誰にもわからないという点。



たぶんどれだけ科学が発達しても、どんな自然災害が起こるか、誰も予測できないと思うのです。



そういった時、この場合は地震が来たときにどうすればよいのか。



これはかなり大きな問題です。







まずは地震の恐ろしさを想像するところから始める必要があると思います。



地震の力がどんなものか、このサイトで見ることで、心を常に備えておくのもひとつの考え方ではないでしょうか?







【協賛サイト】

チームバチスタ3厳選動画集





【参考情報】

○震災で児童2人救った大川小の教師「逃げた」と批判される○



 3月11日の東日本大震災から9か月。宮城県・石巻での取材を著書『ふたたび、ここから~東日本大震災・石巻の人たちの50日間~』(ポプラ社)にまとめたジャーナリスト、池上正樹氏が、「大丈夫」という言葉の下に悲しみを隠す東北の被災者たちについて次のようにレポートする。



 * * *

 宮城県石巻市に初めてはいったのは、大震災から12日後の3月23日。瓦礫の街は、手つかずのまま冠水し、何も音がしない。そこには、生の営みを感じない「悲しみの大地」が、果てしなく広がっていた。以来、17回にわたって石巻市など被災地を訪ねてきた。しかし、震災から9か月以上経ったいまも、石巻市内には、市の約123年分のゴミの量にあたる瓦礫が残されたまま。その処理には、多額の経費と歳月と周辺の理解が必要だ。



 被災地の現実を象徴するような、ある家族の話を紹介したい。市内に住む60代のA子さんの家は、江戸時代中期から続く名家。石巻は米の集積地として発展した歴史ある街だ。しかし、3月11日、代々続く家は津波で跡形もなく流され、夫と娘の夫は行方不明になった(後に遺体で発見)。



 地震時、A子さんはたまたま仙台市にいて、すぐに家の夫と電話がつながった。小学校に行っている孫のことが心配で、「迎えに行って」と頼んだ。夫は孫が帰っても危なくないように、ひっくり返ったピアノなどを片づけ始めた。その夫は4月7日の余震後、上流の川底から浮き上がって見つかった。



 A子さんの娘の夫も津波にのみ込まれた。彼が教師として勤務していたのは、数多くの犠牲者を出した、石巻市立大川小学校。近くの安置所に毎日、何百もの遺体が運ばれていた。「半分、顔がなかった人、目も口も開いたままの人、孫と同い年の子もいた。その子なんか、お人形さんみたいにかわいかったのよ。一緒にいたママもまだ見つからないの…」(A子さん)?



 震災から9日目、義理の息子の遺体が、ポシェットの中のカードから判明した。耳から血が出ていた。「でも、大川小学校の先生がたは、いくら頑張ったって、良くなんかいわれないしね…」(A子さん)



 地震発生時、2年生の担任教諭は、とっさに2人の児童を抱え、裏山をよじ登った。危機の迫る現場で、児童を守るために取り得る限りの努力をしない先生などいない。しかし、2人の命を救いながら「先生だけが逃げた」と批判されている。



※女性セブン2012年1月5・12日号





(この記事は社会(NEWS ポストセブン)から引用させて頂きました)

地震が起こったら根性試しするっていうノリがあるんですよね。



あんまりよくないんでしょうけど、ていうか全然よくないんでしょうけど、バカなノリってけっこう楽しいんですよね。



地震が起こったら公園に集合、そして一気にみんなで河川敷を駆け巡る!



っていう、完全にバカのやることです。



今まで無事だからそんなことやるんですよね。







ホント、地震って恐ろしいものなのに。



っていいながらも、また地震が起こったらやるんだろうなあ、バカだし。







【協賛サイト】

ごぼうの日記





【参考情報】

○仕事納め:知事や札幌市長、震災対応で慰労 /北海道○



 官公庁仕事納めの28日、道庁では高橋はるみ知事が約30人の幹部職員を前にあいさつした。高橋知事は「3月11日は私たちにとって忘れることができない記憶。巨大地震と大津波が多くの貴い命を奪った」と東日本大震災の被害の大きさを振り返り「直面する困難を乗り切る気持ちが、未来への道筋を開いていく」と呼び掛けた。

 札幌市の上田文雄市長も、市役所での職員約200人を前にしたあいさつで震災に言及。「延べ1000人を超える職員が現地に行って復興支援に取り組んでいる。札幌に避難している1400人に対しても市民参加でサポートしており、人を大切にするという方針が多くの市民に理解されている」と述べ、労苦をねぎらった。【片平知宏、中川紗矢子】



12月29日朝刊





(この記事は北海道(毎日新聞)から引用させて頂きました)

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