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地震は強力であり、地震には人のチカラでは敵わないのが事実。
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地震が起こると、彼女がいっつもビックリしちゃうんですよね。



その姿を見るとカワイイなぁって思うんだけど、それって恋人として失格かな?



けど地震が起こるのって、ちょっと楽しみなんだよね。



彼女のカワイイ姿が見れるから、なんてね。







この地震を見るだけでも、彼女は驚いちゃうかも。



今度家に呼んで、この地震を見せちゃおうかな。



いけないいけない♪







【協賛サイト】

うめの日記





【参考情報】

○年末年始も無事故で モノレール駅で安全点検○





 年末年始のモノレールの事故を防ごうと沖縄総合事務局は12日、那覇市の那覇空港駅で、駅内の設備や朝礼の様子を点検した。同局の三浦知雄運輸部長ら査察団7人が同駅を訪れ、駅務員から設備の説明を受けたほか、点呼の様子を確認した。



 同駅の安谷屋直樹上席助役が駅内の設備を説明。ホームの柵に「柵から離れてください」との表示が英語を含めた4カ国語で書かれており、衝突防止策を講じていることを強調。また、地震などの災害時にはホームに設置してあるモニターで即座に情報を発信できることも併せて報告。 その後、査察団は朝礼の点呼の様子を確認。駅務員は全員で安全綱領を読み上げたあと、健康に異常がないことを報告した。同駅の小黒輝雄駅長が年末年始に向けて、運転手の飲酒運転による事故を防ぐため、アルコール検査をしっかりと行うことやテロ防止策として、不審物の発見のために点検を強化すると述べた。

 三浦部長は「現場の職員もしっかりと安全運転に取り組んでいる。新型インフルエンザも流行する可能性があるので、再度防止策を考えてほしい」と講評を述べた。 

 同点検は国土交通省が10日から1ヶ月間実施する「年末年始の輸送等安全総点検」に伴い、実施された。

(この記事は沖縄(琉球新報)から引用させて頂きました)

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地震ってなんか子供のころからワクワクしてたんですよね!



よく学校とかで地震が起こるってなると、女子はキャーキャー言ってたんですけど、俺らのグループは「地震こいよー!」なんて言って張り切っちゃって。



地震に怖がってないっていうの、女子にアピールしたかったんですよね。



懐かしいな。







地震を女子が怖がるんだったらオレが守ってやるぜ、みたいなの、男だったらあるでしょ?







【協賛サイト】

躍る大捜査線をもう一度見たい!





【参考情報】

○(朝鮮日報日本語版) 生タラ、日本産避け供給不足に○



 韓国で冬の味覚の一つに、生のタラを使ったスープ「センテタン」がある。しかし、日本産のタラから放射性セシウムが微量ながら検出されたことで、日本産の輸入を避けた結果、タラの販売価格が高騰している。



 ソウル市松坡区の可楽洞農水産物市場(可楽市場)で、輸入生タラ(10キロ)の平均落札価格は6万ウォン(約4070円)を超え、前年同期に比べ78%も値上がりした。



 市場関係者は「最近生タラの価格は昨年の2倍にもなる。輸入品が減ったことが主な原因だ」と説明した。



 韓国では、出回る生タラの大半が海外産だ。韓国東海岸でもタラは取れるが、量があまりに少なく、統計にすら載らない。昨年までは日本産の生タラが市場で人気だった。



 しかし、今年は東日本巨大地震の影響で、日本産の輸入が急減した。韓国関税庁によると、今年3-7月の日本産生タラの輸入は2085トンで、前年同期(4943トン)の半分以下に落ち込んだ。



 さらに、農林水産検疫検査本部は先月30日、北海道で包装され、韓国に輸入された冷蔵タラ6.6トンから放射性セシウムが極めて微量検出された。



 検出された放射性セシウムは基準値の0.29-0.54%にすぎないが、日本産の生タラに対する消費者の拒否感はさらに高まった。



 流通大手は今年夏から生タラの代替輸入先を確保しようと奔走した。イーマートは米アラスカ産、ロシア産を導入。ロッテマートはカナダ産を販売している。可楽市場の関係者は「日本産に代わる十分な量を確保するのが難しく、当面は生タラが高値で推移するのではないか」と話した。





(この記事は韓国(朝鮮日報日本語版)から引用させて頂きました)

地震は家庭を脅かす脅威の存在だから、子供たちがいつも地震におびえている。



子供たちだけでなく、妻も地震におびえている。



かくいう私も、地震はそんなに得意ではない。



だからこそ、家族で一致団結して、地震に打ち勝とうではないか!







うん、真っ向勝負では勝ち目が無い。



ここは家族でリビングに集まって、楽しい話でもしようではないか!







【協賛サイト】

木村カエラ特集!





【参考情報】

○海へ祈り、釜石で鎮魂の儀式○





地震は本当に怖いですよね。



子供の頃から地震って怖くて、そういう予報が出るだけでビクビクとしながらお父さんにしがみ付いていました。



今でも地震が起こるってなると、やっぱり怖いですね。







映像で見るだけでも……ちょっと、縮こまっちゃうって、感じです。



地震には敵わないって分かってるから、事前にしっかりと準備しておくのが、唯一の方法でしょうか。







【協賛サイト】

Komiyamamoru's Blog





【参考情報】

○茨城で震度3○



 11日午後8時16分ごろ、関東地方で地震があり、茨城県で震度3の揺れを観測した。気象庁によると、震源地は同県北部で、震源の深さは約60キロ、地震の規模(マグニチュード)は4.1と推定される。 





(この記事は社会(時事通信)から引用させて頂きました)

地震が来た。



そして多くの被害が出る。



でも、それでも人類は復興します。



地震が起ころうが、太陽が溶けようが、



人類はいつも立ち上がるのです。



(太陽が溶けるとさすがにやばいか)



それこそ、人類の英知。



地震に負けてはいられません。







悲観的にならず、いつか最強の地震対策ができると信じて、



未来を生きていくしかありませんね。



地震なんて、こわくない!







【協賛サイト】

綾瀬はるかの動画を集めました!





【参考情報】

○警戒区域で見た過酷な現実○





【福田徳行のふくしま復興コラム】



 東京電力福島第1原発事故で未だに多くの県民が県内外で避難生活を余儀なくされる中、原発から半径20キロ圏内で全員が避難している警戒区域の過酷な現状を目の当たりにして言葉を失った。



 11月16日。警戒区域に指定されている大熊町で、初めて住民のマイカーによる一時帰宅が実現し、報道陣も取材が認められたため、警戒区域に入った。



 午前8時すぎ、集合場所の広野町中央体育館には住民が続々とマイカーで詰め掛けた。防護服に着替え、車の屋根の部分には一時帰宅の印である赤いリボンが付けられた。帰宅が認められる時間は移動時間も含め5時間。住民たちは先を急ぐように我が家に車を走らせた。それを追うように報道関係者を乗せたバスが検問で警察のチェックを受け、いよいよ警戒区域内に入った。



 途中の道路は段差だらけで、道ばたの雑草が秩序もなく生い茂げっていた。紅葉だけが季節の移り変わりを感じさせる。ほどなく、バスは住宅が点在する場所に到着し、そこから報道陣が各々、取材のため民家を回った。



 歩くこと10分。自宅から思い出の品や生活用品を持ち出す老婆と息子を取材できた。この自宅は第1原発からわずか2キロの地点。黙々と持ち出し準備をする息子は開口一番、東電への怒りをぶちまけた。



 「死ぬまでに悲しみと怒りと憎しみを背負っていかなければならない。東電のやっていることは人の道を外れている。誠意を示してほしい」



 息子は抗議の意味で、持参しなければならない放射線の線量計を持ってこなかったという。「東電からは国の方針で線量計を下げてくれと言われたが、自分たちが起こした事故に対して国の方針というのはおかしい」と声を荒げた。傍らでは母親が黙々と冬物をビニール袋に入れていた。



 「じっちゃん(お爺さん)の冬靴も持って行がねば」



 年老いた体に防護服姿は痛々しく映り、改めて事故の爪痕の大きさを感じさせた。



 一通りの取材を終え、バスは大熊町と双葉町内の視察へと向かった。そこで見たものは想像を絶する世界だった。



 大熊町にある双葉病院。まず目に飛び込んできたのは外に無造作に置かれたベッドだった。その数は約30。同行した担当者に聞くと、地震発生と同時に患者が全員ベッドのまま外に避難し、そこから自衛隊の誘導で別の場所に避難したのだという。



 突然襲った巨大地震のショックからか、搬送中に亡くなった人もいたという。外側から病院内を除くと無数の布団が避難したそのままの状態で敷き詰められていた。患者はどれほどの恐怖を味わったのだろうか。パニックに陥ったのかもしれない。地震発生時の混乱した様子が垣間見えた。



 続いて訪れたのが大熊町内にある老人ホーム。ここは第1原発を望める高台にあるが、やはりホーム内は混乱の爪痕がくっきり残されていた。食器や食物があちこちに散らばり、ベッドも倒れていた。しっかりと時を刻んでいる目覚まし時計が妙に不気味さを感じさせる。わずか数キロ先に見下ろせる原発が人々の生活を奪ったと思うと、複雑な心境にかられた。



 報道陣を乗せたバスは最終目的地の大熊町の中心街に到着した。そこに飛び込んできたのは人間の息づかいが全く聞こえない非日常の世界だった。



 崩れ落ちた民家、中がめちゃくちゃになっている薬店、入り口のドアが壊れている電気店、放置されている自家用車、伸び放題となっている雑草…。こうした異様な光景の中、カラスの鳴き声と「ヒュー、ヒュー」という風の音だけしか聞こえてこない。街のあちこちには誰が置いていったのか、ペットフードがいくつもあった。もちろんそれを食べる犬猫の姿はない。



 約15分間、街を歩いたが、我々が日常暮らしている当たり前の姿が残念ながらここにはない。3月10日まではここでは人々があいさつしながら行き交い、笑い声が聞こえ、時には泣き、人の息吹が街を形作っていたと思うと、胸が締め付けられる思いがした。



 原発と共存共栄してきたにもかかわらず、一瞬にして人々の生活を奪った原発事故。これまでは映像でしか現場の状況を知ることができなかったが、今回、初めて警戒区域に足を踏み入れたことで、1日でも早く町の復興を果たさなければならないと感じた。



 11月に行われた大熊町長選では、現在のままでの町の復興を訴えた現職と町の移転を唱えた新人の一騎打ちとなったが、結果は現職が当選を果たした。町民は今のままでの大熊町の復興を選択したのだ。



 以前、青森市に避難している大熊町の一家を取材した時の母親の言葉を思い出した。「必ず大熊町に帰るんだという気持ちを持ち続けたい。山があって川があって…。やはり故郷は忘れられない」。故郷を思う気持ちを持ち続けることで、不便な避難生活の中にも唯一の心のよりどころとなる。



 11月16日は故郷とは何か、原発とどう向き合えばいいのかを改めて考えさせられると同時に今後、記者生活を続けていく上で一生忘れることができない1日となった。





(この記事は社会(産経新聞)から引用させて頂きました)

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