地震に真っ向勝負で勝てるわけがない!
人間は太古の昔から地震にはおそれおののき、地震を鎮めるための儀式とかいろいろと頑張っていたらしいから、現代の技術でもそんなのに勝てるわけがない!
地震に対抗するには、気持ちで負けないことだ! 気持ちさえあればどうにかなる!
めっちゃコワイ!!! めっちゃコワイけどコワイからこそ頑張って勝てよオレオイ!!!
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ねねの日記【参考情報】
○福島原発事故で離散の被災者 避難先での交流活発化○
福島第1原発事故で全国に分散避難した福島県浜通り地方の住民が、避難先で交流を深める動きが活発化してきた。帰還や生活再建が進まない一方、被災地以外では震災が風化しつつあり、被災者が「故郷」の情報やそれぞれの悩みを話し合う必要性が高まっている。
12日、福島県白河市の集会施設に福島県南地方に暮らす浪江町民100人以上が集い、「浪江ネットワークしらかわ」を設立させた。発起人代表で同市に避難する若月芳則さん(61)は「年が改まり、さまざまな判断や決断を迫られることになるが、困ったときこそ絆を支えに前へ進んでいこう」と呼び掛けた。
県南地方では、仕事の都合や親類の事情などで借家やアパートに暮らす人が多く、当初は支援物資も満足に届かなかった。口コミで人を集め、企業などから届いた支援物資を分け合う窓口として有志が集まったのが、ネットワークの始まりになった。
ネットワーク設立は行政との連携強化も狙いの一つ。これまでも茶話会を開いたり、農協の催しに「なみえ焼そば」の屋台を出したりしたが、個人の集まりでは、支援を得にくい事情もあった。
浪江町は全域が警戒区域と計画的避難区域。町民2万1000人のうち3分の2は福島県内に、残り3分の1が県外へ避難している。避難先での町民の交流について町は「人と人との絆づくり」(馬場有町長)と位置付け、会場の確保などに補助している。東北と首都圏を中心に13の組織が設立される見込みだという。
新潟県柏崎市では、大熊町民による「あつまっか おおくま」=実行委員長・愛場誠さん(63)=が昨年9月に活動を始め、避難者自ら継続的に交流の場を創り出している。
個人情報保護法によって、町民が同郷の人の避難先を知りたいと思っても役場では教えてくれない。昨年5月、愛場さんが知人と再会したのが設立のきっかけになった。
「柏崎市のスーパーへ買い物に行ったら、会ったことのある人がいて感動した」と愛場さん。互いの知り合いを教え合うなどして輪を広げ、現在は40人の会員がいる。
市内の公共施設などを借りて、交流会を毎月開催。昨年11月には、2004年の新潟県中越地震で全村避難を経験した山古志村(現長岡市)を訪ね、復興を学んだ。愛場さんは「交流会で皆に短いスピーチをしてもらうと、つらかった経験を話して涙を流す人もいるが、思いを共有する仲間がいるからか、終わるころには笑顔になっている」と意義を訴える。
交流活動について、三宅島の全島避難を経験した宮下加奈減災・復興支援機構専務理事(42)=東京都=は「被災者の連携は目標や目的を共有する上でも必要だし、課題解決を社会へ求める力にもなる。行政やボランティアは過度に関与せず、自主的な活動を尊重すべきだ」と指摘する。
(この記事は福島(河北新報)から引用させて頂きました)
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