地震は自然の強大なチカラであり、地震を操作するなんてことは現代の技術力では不可能である。
しかし、現代は古代と異なり、地震のメカニズムや事前に察知するだけの術は有している。
それがカギとなるのだ。
古代は地震を神のチカラだと畏怖していたが、現代では科学力によって解明されつつある。
地震は神ではない、自然現象だ。
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○和田監督1・17復興の誓い 日本中を元気に!○
阪神・淡路大震災から17年となった17日、阪神・和田豊監督(49)はあらためて野球を通じて日本中を元気にすると誓った。1995年当時はチームの選手会長を務めていた指揮官は、昨年3月の東日本大震災にも触れながら、「野球の底力」を全国の被災者に示すシーズンにすると決意を表明。シーズンの戦いぶりと同時に、選手会の活動にも協力する姿勢を示した。
【写真】「野球の底力」を見せる決意を示す和田監督ら
あの日のことを忘れられるはずはない。1月17日。阪神・淡路大震災から17年を迎えた和田監督は「われわれにできるのは野球しかない。野球で何とか元気付ける、勇気付けるということを何年も続けていかないと」と話した。
当時現役だった指揮官は、久慈内野守備走塁コーチと滋賀県内で自主トレ中。前日に現地に入ったばかりだったが、明け方の大地震で引き返すように自宅のある西宮へ。大阪から西へ向かう交通手段がなく「何とか戻らないといけないと、夜中歩いた記憶があります」という。
「帰ってみて、状態を見た時に…ね。自宅とは離れた滋賀にいたんで、同じだけの揺れを経験していないし神戸辺りの比じゃないだろうし。そういうのをテレビで見ながら、時間がたつにつれて亡くなった方も増えていって…」
震災から3日後の20日には家族を連れて、再び自主トレ先の滋賀県大津市内へ一時避難。現在、再び同じユニホームに袖を通す久慈コーチや関川外野守備走塁コーチ、仲田幸司さんと合同トレーニングを再開した。
それから17年。「風化させてはいけない出来事。まだ被災されて苦しまれている方々もいらっしゃる。かなり復興して前に進んではいるんだけど、その中でも苦労されている方々もいる。終わったこととは考えられない」と、現在も継続している問題だ。
同時に、昨季開幕前に未曽有の被害をもたらした東日本大震災の記憶も生々しい。昨季は被災地の支援に12球団が結束したが、野球の底力が全国の被災者のためにできることはあるはずだ。
17年前、阪神の選手会長だった和田監督は、チームメートらとシーズンの本塁打数やヒット数に応じて寄付を集め、総額156万円を日本赤十字を通じて被災者へ送った。また翌96年の1月17日には午前5時46分から“追悼自主トレ”を敢行。アスリートとしてできる限りの支援を行った経験は、プロ野球選手会の新井選手会長をはじめ、現役選手にも継承されている。
選手からコーチ、監督へと立場が変わっても、関西、東北の被災者を思う気持ちは不変だ。「(東北の)被災地だけの問題じゃない。何年も続けていかないといけないし、選手会もいろいろと考えて活動してくれてるから、できることは協力していきたい」と和田監督。戦う後ろ姿や行動で、日本中の復興を支援する覚悟だ。
(この記事は野球(デイリースポーツ)から引用させて頂きました)
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