忍者ブログ
地震は強力であり、地震には人のチカラでは敵わないのが事実。
[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10
最新記事
(03/16)
(03/15)
(03/15)
(03/14)
(03/12)
(03/11)
(03/11)
(03/11)
(03/11)
(03/10)
(03/09)
(03/09)
(03/09)
(03/08)
(03/08)
(03/08)
(03/07)
(03/07)
(03/07)
(03/06)
(03/05)
(03/05)
(03/04)
(03/04)
(03/04)
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

地震が来た。



そして多くの被害が出る。



でも、それでも人類は復興します。



地震が起ころうが、太陽が溶けようが、



人類はいつも立ち上がるのです。



(太陽が溶けるとさすがにやばいか)



それこそ、人類の英知。



地震に負けてはいられません。







悲観的にならず、いつか最強の地震対策ができると信じて、



未来を生きていくしかありませんね。



地震なんて、こわくない!







【協賛サイト】

Komiyamamoru's Blog





【参考情報】

○大震災時の都内交通規制、大幅見直し○





PR
地震を見続けていると、リアルを超えて慣れてきてしまう。



それもよくないんでしょうね。



地震への備えとかはやっぱり意識の問題で・・・。



慣れちゃうと意識もへったくれもない。







でも、地震がいつ来るかわからないから、緊張する。



緊張すると疲れる。



は、悪循環。



地震が常に起こるかもしれないと無意識に思いながら、



普段通り暮らすというのが、一番。



それが地震との付き合い方でしょうか。







【協賛サイト】

だいすけの日記





【参考情報】

○<東日本大震災>陸前高田市消防団が震災後初、全分団集合○



 東日本大震災で団員749人のうち51人が犠牲になった岩手県の陸前高田市消防団が4日、震災後初めて全8分団で集まり、各家庭に防火を呼びかけた。団長の大坂淳さん(54)は妻と娘も亡くし、一時気力を失ったが、仲間の支えで再起。「新しく陸前高田市を作るには力が必要。皆さんは市のエンジンです」と訓示した。



 同市高田町の市職員駐車場に集まった団員は約450人。新調した消防団旗が戸羽太市長から大坂さんへ、津波で分団旗を失った5分団の新分団旗が大坂さんから各分団へ、それぞれ手渡された。



 大坂さんは市内で写真館を経営しながら、高田分団長を務めていた。昨年3月11日の大地震直後は、家にいた妻仁美さん(当時50歳)と、福島から帰省中だった短大生の長女由夏さん(同19歳)に「高台の実家へ逃げろ」と言い残し、外へ飛び出した。



 津波が来ると聞き、住民の避難を助けていた団員たちに退去を呼びかけていた時、海から迫る「黒い壁」に気付いた。間に合わず流され、竹やぶにしがみついた。振り返ると街は濁流にのまれていた。



 高田分団員は128人のうち28人が犠牲になり、仁美さんと由夏さんも亡くなった。残った分団員と、毎日100体前後の遺体を安置所へ運んだ。



 写真館の廃業を考えた。「被災者に『笑って』なんて言えるわけない」。だが4月下旬、中学教師の友人から入学写真の撮影を頼まれた。「カメラも機材も流されて何もないべ」と答えたが、別の友人が新しいカメラを届けてくれた。今年の成人式があった日は朝から、写真館前に由夏さんの同級生が並んだ。



 今年1月、大坂さんは市消防団の団長を引き受けた。自分同様、家族を失った団員は少なくない。4日の訓示の最後に呼びかけた。



 「耐えがたい孤独感や絶望感を感じたとしても、これだけの仲間がいます。生き抜いてほしい」【下原知広、岩壁峻】





(この記事は社会(毎日新聞)から引用させて頂きました)

地震を実験する施設とかあったりするんでしょうね。



たとえば地震のメカニズムとか、ミニチュアでやったり?



そういうの地震被害とかあるとテレビでやりますよね。







地震実験で何か、エネルギーに転換するような装置とか、



開発されないんですかね。



地震ってすごいエネルギーですものね。



カロリーとかに変換したり?するとどれくらいなんだろう。







【協賛サイト】

大塚の日記





【参考情報】

○東日本大震災1年:危うい旧耐震基準、横浜のビルが震度5強に「半壊」し解体/神奈川○





 東日本大震災の揺れで柱が曲がるなど深刻な被害が出た横浜駅西口(横浜市西区)の商業ビルで今、解体工事が進められている。旧耐震基準で建てられていたため、長い揺れとその後の余震に耐えられず、「半壊」と判定されていた。震度5強で一等地のビルが建て替えを余儀なくされた今回のケースは、地震対策で重視すべき耐震化の大切さを浮き彫りにしている。



 1964年に建てられた6階建ての「二幸ビル」。ダイエー横浜駅西口店の隣に位置し、美容室や喫茶店など10社がテナントとして入っていた。



 82年から所有している久慈産業(東京都文京区)によると、揺れにより柱が歪曲(わいきょく)するなど深刻なダメージを受け、発生当日から立ち入り禁止となった。



 当時、約10人の客がいたという美容室「ヘアーメイクFrais本店」では、身の危険を感じたため、従業員を含め全員がすぐにビル外へ避難。すぐ近くの「ダイイチビル」にフロアを確保して営業を再開しているが、マネジャーの熊岡喬さんは「壁にひびが入るなど、いつ崩れてもおかしくないと思った」と振り返る。



 二幸ビルはその後の余震でも壁のひび割れや床のゆがみなどが進み、区からは「半壊」と判定された。専門家にも「基礎部分が損傷している可能性が高い。改修もできるが、工事自体が危険な上、費用も解体・新築より多額になる」と診断され、建て替える以外に選択肢はなかったという。



 屋上のプレハブを撤去してビル上部の軽量化に努めるなど、一定の地震対策を講じてはいた。だが「耐震補強工事の検討をしていた矢先に震災が起きた。丈夫なビルだと言われて購入したのだが」と益子和幸社長は悔い、「横浜駅周辺には旧基準のビルはかなり多いはず。同じような被害が他で起きてもおかしくない」と指摘する。



 テナントとの話し合いを経て昨年11月から解体工事に着手。ビルの新築も含め費用は約5億円に上る見込みで、2013年中の完成を目指している。



 一方、震度5弱だった同市都筑区では「全壊」となった建物も。工場内にあった築50年超の鉄筋2階建て事務所の2階が崩れ、1階がつぶれた。



 関係者によると、10人ほどが働いていたが、社長が「逃げろ」と叫んだため、大半が外へ避難。中に閉じ込められた2人は天井と梁(はり)の隙間で難を逃れ、数時間後に救助された。事務所があった場所はさら地となっており、再建については決まっていないという。 





(この記事は神奈川(カナロコ)から引用させて頂きました)

地震はたぶん人類誕生からずっとあるのでしょう。



そりゃそうだと思いますよね。



そういう地震の記録も古文書とかであったりするのでしょう。



興味がわいてきました。







地震の歴史を紐解くことは人類の成長も考えることになる??



そういうの、大学院とか地震研究所とかでやっているのでしょうね。



地震に抗う人類。



これからも未来永劫、そうなのでしょうね。







【協賛サイト】

あおいろボールペンの日記





【参考情報】

○東日本大震災:海岸堤復旧工事、知事らクワ入れ 東松島で着工式 /宮城○



 県災害基本計画に基づく沿岸部海岸堤の災害復旧工事の着工式が3日、東松島市大曲の県矢本緑地公園近くの大曲海岸で行われた。関係者約100人が出席し、村井嘉浩知事や東松島市の阿部秀保市長らが工事の安全を祈願してクワ入れした。

 県事業の第1弾として復旧工事が行われるのは、石巻湾に面した東松島市大曲-鳴瀬川河口部間の全長約6・8キロの大曲海岸のうち約1・6キロ区間。

 同海岸には震災前まで高さ6・2メートルの港湾堤防や保安林堤防が築かれていたが、地震と大津波で護岸背面が崩壊したり陥没。内陸部の農地や市街地に広範囲に浸水し、大きな被害を受けた。

 復旧計画では、海岸堤防の高さは7・2メートルにかさ上げ。さらに従来の堤防と比べ底辺を幅広くし、のり面の勾配を120度にするなど津波に強い三面張り工法を取り入れた。

 計画では8月末までに仮設道路を整備し、本体工事に着手。13年度の早い時期の完成を目指す。【石川忠雄】



3月4日朝刊





(この記事は宮城(毎日新聞)から引用させて頂きました)

地震をバスターしたい!



来るか来ないかわからないものは待っていてもしょうがない。



地震を根絶やしにするのだ!



・・・という正義の味方が現れてくれたらいいな。



そういうヒーローってこれまでいなかったですよね。



地震とかあらゆる災害を倒す、みたいな。



そういう戦隊ものもあっていいのでは?



「でたな、地震!」とか言いながら。



地震破壊光線とか出したり?











【協賛サイト】

たんぽぽの日記





【参考情報】

○賛否両論のドキュメンタリー『311』初日を迎える 森達也監督「自分たちのみっともなさを全部出そうとした」○





 東日本大震災の爪痕を記録したドキュメンタリー映画『311』が3日に初日を迎え、共同監督の1人である森達也監督が上映後に登壇し観客からの質問に熱心に答えた。



映画『311』写真ギャラリー



 本作は、東日本大震災発生から2週間後、森達也、綿井健陽、松林要樹、安岡卓治の4人が、被災地へ入って記録したドキュメンタリー。被災地の状況に加えて、凄惨(せいさん)な被害の前に戸惑う自らの姿、また、遺族を目の前にカメラをまわし続ける彼らへ厳しい批判が向けられる場面も捉えられ、昨年山形国際ドキュメンタリー映画祭2011で上映された際には、その内容をめぐって物議を醸した。



 森監督は「(この映画の)キーワードは後ろめたさ。311以降、日本中が後ろめたい思いをしていた。東北の方たちだけがなぜあんな目に遭わなければいけないのかという不条理さ。また、こんな地震の多い国でなぜこれだけの原発が必要だったのか、おかしいと思っても口にしなかった、そういう自分に対しての後ろめたさ。その感覚が現地に行ったとき、まさしくメディアの持つ後ろめたさに重複したわけです。こういった感覚をしっかり持つことは大事だと思う。自分たちのみっともなさを全部出そうとしました」と作品に込めた思いを語った。

 

 また、森監督に女性観客から「人が目を背けたくなるような題材をあえて選ぶ印象があるが、その原動力はどこから来ているのか?」という質問が飛んだ。すると森監督は「テレビが同じ方向しか見ないという思いがあって、あえて(視点を)ずらしているのかもしれない。そもそも自分は子ども時代からずれていた。そんな経験則がないまぜになって作風らしきものになっているかもしれない」と自身の作り手としての原点について言及する場面も。その後も和やかにQ&Aは進み、質問に対してひとつひとつ熱心に解答していた森監督に終了時は温かい拍手が沸き起こっていた。(古河優)



映画『311』はユーロスペースほか、全国順次公開中







(この記事は映画(シネマトゥデイ)から引用させて頂きました)

前のページ      次のページ
ブログ内検索
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
Powered by Ninja Blog    template by Temp* factory    icon by MiniaureType

忍者ブログ [PR]