地震に真っ向勝負で勝てるわけがない!
人間は太古の昔から地震にはおそれおののき、地震を鎮めるための儀式とかいろいろと頑張っていたらしいから、現代の技術でもそんなのに勝てるわけがない!
地震に対抗するには、気持ちで負けないことだ! 気持ちさえあればどうにかなる!
めっちゃコワイ!!! めっちゃコワイけどコワイからこそ頑張って勝てよオレオイ!!!
【協賛サイト】
林の日記【参考情報】
○「3.11」からまもなく1年 極寒の海、先見えぬ捜索 「手つかずの場所ない」○
東日本大震災の行方不明者の捜索が難航し、今年に入ってから遺体で発見されたのはわずか6人にとどまっていることが16日、警察庁のまとめで分かった。不明者は依然、3287人に上っている。ただ、最近でも生存が確認される例などもあり、不明者数が減る可能性はあるという。
警察庁によると、16日時点の死者数は1万5850人で、1月3日時点と比べて6人しか増えていない。一方、不明者数は、身元不明遺体の身元が判明したり、自治体の調査で生存が確認されたりして、1月3日の3451人から164人減少している。
一般的に大津波では、引き潮で沖合に流され、見つからない人も少なくない。
外務省によると、インド洋沿岸諸国で計22万人以上が犠牲になった2004年のスマトラ沖地震では、最大の被害を受けたインドネシアで現在も3万人以上が行方不明のままとみられているという。
◆連日の潜水活動
市町村別で最も多い3280人が犠牲になり、今なお557人の行方が分かっていない宮城県石巻市。その沖合約1キロに浮かぶ小型船から、宮城海上保安部の巡視船「くりこま」所属の潜水士4人が次々と2月の極寒の海に飛び込んだ。気温は氷点下1・6度、水温は5・7度。船上では風速14メートルの風が肌を突き刺す。
4人はすぐに水深約10メートルの海底へ。土砂による濁りでわずか20センチの視界しかない中、約15分間にわたって念入りに海底を調べて戻ってきた。船上の海上保安官に淡々と報告を始めた。「漁の網でした」
その後も、ソナーと呼ばれる装置を使って海底に障害物らしきものを見つければ、潜水士が潜って調べるという作業が約2時間繰り返された。しかし、この日も不明者は発見できなかった。
不明者の捜索が困難を極める中、海上保安庁による潜水捜索は今もほぼ連日続けられている。陸上のがれきはほとんど片付けられ、不明者の大半は海に流されたとみられるからだ。
昨年3月12日の最初の潜水から数えて、191回目を終えた潜水班長の藤田伸樹さん(37)は「最初は興奮して寒くないんだが、すぐに手足の感覚がなくなる」と話す。海から上がった後はぬるま湯ですら熱湯に感じるため、水を浴びて海水を流すという。
だが、潜水士がその冷たさよりもつらく感じるのは、遺体を見つけられないことだ。今年に入って潜水捜索による発見はわずか1人にとどまっている。
潜水士の小野寺真人さん(26)は時々、激しい無力感に襲われる。「この海の中にまだ3千人もの人がいるというのに…」。そんな時は震災時の写真をみて自分を奮い立たせ、海に向かい続けている。
藤田さんにも葛藤した時期はあった。「『遺体の捜索』と思うとモチベーションを維持できなかった。でも、行方不明者を待っている家族の心労を取り除くことも救命活動の一つと考えるようになった。もちろん、寒い海から一刻も早く出してあげて遺族の元に返してあげたいと思い続けている」
だが、現実は厳しい。潜水捜索は水深30メートルまでをめどにしているが、海保幹部は「手つかずの所はほとんどない状況。より深い場所まで流されている可能性が高い」。
警察などによる陸上の捜索も、水抜きが終わったばかりの田んぼなど、場所と時期を絞った捜索に変わっている。14日からは、児童ら5人が不明のままの石巻市立大川小学校近くの川をせき止めて、川底の捜索を行っているが、これ以外に手つかずの場所は見当たらないという。
◆「前を向くしか」
沿岸の風景にも、家族の気持ちの変化が表れつつある。石巻市の寄磯漁港で漁の再開に向け準備を進めていた漁師、鈴木衛さん(61)によると、昨年秋に港のがれきが片付けられるまでは、海岸を捜索する人の姿がよく見かけられたが、最近はめっきり少なくなったという。
自宅を流されて仮設住宅暮らしという鈴木さんは、漁具の修理をしながら、しみじみとつぶやいた。
「家族は悩みながらも区切りをつけたんじゃないか。つらいだろうが、前を向くしかないよなあ」(太田明広)
(この記事は社会(産経新聞)から引用させて頂きました)
PR